なぜ100円一点なのか? 後編
毎週100円~200円の馬券術は、私の生来ケチな性分にも向いています。
たとえば、1レースに三連複4頭ボックスなら買い目は4点、5頭ボックスなら10点。
買い目を増やすと、なんとなく的中率が上がりそうな気がしてきます。
しかし、18頭立ての場合、三連複1点の的中確率は、わずか0.12%。
ならば少頭数なら……と思って計算してみると、9頭立てでも0.76%に過ぎない。
1%にも満たないわけです。
そんな確率に4点、10点と増やしていったところで、客観的な確率計算からいえば、焼け石に水。
しかも、4頭ボックスを買うということは、たとえ1点が的中したとしても、必然的に残り3点が外れ馬券になるのを覚悟の上だということです。
どんなに逆立ちをしても、4頭ボックスで4通りが的中することはありえない。
競馬を1口100円と考えている私にとって、4口も投じたうえに、そのうち3口はみすみすドブに捨てるだなんて、そんな非効率な行為はありません。
100円1点勝負は私にとって、負け分を最小限に抑えるための後ろ向きな妥協ではありません。
自分の予想1点を信じ、最小の出資で最大の効果を上げるための前向きな大勝負です。
つい買い目を増やしたくなるのは、それだけ印をつけた馬のことを信じてあげられていない証拠だと、私は自分に言い聞かせています。
それに、潔く1点だけを信じるのって、それこそ「勝負師」って感じで、格好いいじゃないですか。
1レースに何十万、何百万と張るだけが「勝負師」ではない。
たとえ予想がカスリもせずに失笑を買おうとも、選び抜いた3頭を応援することは、私なりの美学にも通じています。
この馬券術には、もうひとつの利点があります。
折しも国内でカジノ合法化を巡って問題となっている、ギャンブル依存症の予防です。
負けが込んで買い目を増やすから、挙げ句の果てにギャンブル依存症の泥沼にハマってしまうわけです。
ならば、買い目を増やさなければいい。
明々白々な予防法です。
そのうえ、たとえ人より少額でも勝ち逃げさえできれば、負けではないのだから、精神衛生上も健やかで、いいことづくめではないですか。
負けても最大で年間10,400円(年間52週として)ですから、既に楽しみ終えた本やゲームをブック●フに売り飛ばせば、なんとでもなります。
週1で通う吉●家で大盛りを頼みたいところ、グッと堪えて並盛りにする、その積み重ねでもいい。
節約して逆に儲けが出てしまったら、なお良いことじゃないですか。
自分、たいがいMっ気が強いなあと思いますが、いつも平場のレースをテレビ観戦していて、余計に賭けたくなる気持ちをグッと堪え、そのヒリヒリした焦燥感をも楽しむという、もはやエンタメなんだか苦行なんだかよく分からない楽しみ方もしています。
投票締切になる発走1分前には「この予想、もし的中しちゃったらどうしよう……」と本当にえも言われぬスリルを味わえるのですが、たいがい2分後に決着すると「賭けなくてよかった……!」と気分が晴れるので、こちらは「分のある」ストレス解消法といえるかもしれません。
私の連載なんて読んでいる人は少なかろうと思いますが、この馬券術、本当は全世界に発信されるインターネットに無料で書きたくありませんでした。
なぜなら、私が馬券で狙っている払戻金の財源は、ある意味、ギャンブル依存症(およびその予備軍)の人たちの投資によっても、その一部を支えられているのですから。
だけど今日はクリスマスなので、万人を愛するために思いきって書きました。
ギャンブル依存症は正しく「病気」です。
自覚症状のある方は、メンタルクリニックなど、専門家による適切な治療を受けるべきだと思います。
世間的にギャンブル依存症が問題視されて、競馬という人馬が一体となった素晴らしいスポーツのロマンが奪われてしまうことは、本意ではありません。
過酷な0.1秒の争いに声援を嗄らし、勝つ喜びを分かち合うためにも。
自分がいちばん納得できる形で、来年も競馬を楽しみましょう。
メリークリスマス。