競馬新聞と競馬実況
最近、有料記事にかまけてばかりいるので、たまには無料でコラムというか、雑文を。
先日刊行された本村凌二/マイク・モラスキー著『「穴場」の喪失』(祥伝社新書)には、競馬ファンにとって、なかなか興味深い話が多く書かれています。
その中で興味深く感じたのは、競馬新聞に関する鋭い知見でした。
早大教授の本村氏は、このように述べています。
「日本の競馬新聞は実によくできています。あの小さな升目のなかに、馬体の情報、過去の成績など、精密なデータがほとんど入っています。イギリスやフランスの競馬新聞では、一レースを検討するのに紙面を二、三枚ひっくり返さなければなりません」
「これは、漢字文化圏の勝利と言っていいでしょう。アルファベットは二十数文字しかないため略号に限界がありますが、数千あるいは数万ある漢字は略号も無数に作れます。たとえば、京都競馬場は「京」、小倉競馬場は「小」になりますが、アルファベットではどちらも「K」になり、区別がつきません」
(以上、第三章「ギャンブルと文化」より引用)
……なるほど、と膝を打ちました。
普段なにげなく使っている出馬表ですが、言われてみればたしかに、物凄く多くの情報量をコンパクトにまとめていたんですね。
以前、競馬を始めたばかりの職場の同僚女性に競馬新聞の読み方をイチから教えたことがありますが、説明する事項が多すぎて、かなり骨の折れる作業でした。
私自身、改めて良い勉強になったと思います。
意外と、いつも見落としている欄に重要な情報が転がっていたりするので、ときどき初心に立ち返って、出馬表をくまなく見て勉強し直してみるのも面白いかもしれません。
ちなみに、情報が凝縮されているのは文字情報だけではありません。
同書に、目が不自由だけども週末の楽しみに競馬場に行く――という人の話が出てきます。
その感覚、なんとなくわかるような気がします。
幼い頃から父が競馬を見ている横で育った私にとって、ある意味で競馬の実況は子守唄のようなものでした。
次から次へと澱みなく繰り出される言葉の数々、小気味良い調子と随所に差し挟まれる的確な情報、そして3コーナーから直線にかけての盛り上がり。
画面を見ていなくても、まるでレースの様相が目の前にまざまざと浮かび上がるかのようです。
子どもの頃から、意味がわからないなりに、競馬実況を聞くのは好きだった記憶があります。
あらゆる情報を紙で、そして音声で網羅し、伝える努力を続けてきたからこそ、日本の競馬文化はここまで発展してきたのかもしれません。
「ギャンブルの良さは、……一〇〇円でも賭けることにより、スペキュレーション(分析、推察)に真剣味が帯びることです」
とは、同書の帯にも引用されている本村氏の言。
競馬はお金の奪い合い、金融ゲームですが、もう一方で推理ゲームという側面もあります。
金融ゲームは参加者同士との戦いですが、推理ゲームは己との戦いです。
いかに的中率を上げていくか、いかに少ない買い目で当てていくか。
楽しみは尽きません。
今日も競馬を楽しんでいきましょう。